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PEYGAMBER EFENDİMİZİN HAYATI

Hz. Muhammed (SAV), 20 Nisan 571 yılında Mekke’de doğdu. Annesinin adı Amine, Babasının adı Abdullah. Babası Abdullah, O daha doğmadan önce...

NiON-GO

彼がされた旅行

Pazar, Ocak 31, 2010





彼がされた旅行


預言者ムハンマドはアブー・ターリブによって守られ最大の保護を受けられた。イブン・イサクなどの歴史家や伝記作家によると、アブー・ターリブは彼の甥が10歳か12歳の頃、貿易キャラバンでシリアに連れて行った。彼らはダマスカス付近のある場所で止まり、預言者ムハンマドが一番年下であったから、キャラバンを見張っているように言った。キャラバンはその時近くの修道院の修道士から注意深く観察されていた。その者は、最後の預言者の到来を、期待していた。バヒラという名のこの修道士は、雲がキャラバンの後についてきて、キャラバンが止まった時には止まり、それが動き出すとそれについて動き、彼らの頭上に影を作っているのを見た。これは預言者の特徴だ、このキャラバンの中に待たれている預言者がいるに違いない、とバヒラは考えた。キャラバンが修道院の近くで泊まった時、バヒラは彼らを食事に招いた。彼は雲がまだキャラバンを覆っているのに気づいた。彼はアブー・ターリブに、誰がキャラバンに残っているのかと尋ねた。アブー・ターリブは、小さな少年がキャラバンを見張るために残っているだけだと答えた。修道士は彼を連れて来るように頼んだ。ムハンマドがきた時、バヒラはアブー・ターリブを端に連れて行き、その少年との関係を尋ねた。私の息子だとアブー・ターリブは答えた。バヒラはこれに異議を唱えた。「あなたの息子であるはずはない。我々の本によれば、彼の父親は彼が生まれる前に死んだに違いない」。それから付け加えた。「アドバイスさせてほしい。この子を連れてすぐに戻りなさい。ユダヤ教徒はうらやんでいる。もし彼らが彼を認めたら、彼に危害を加えるだろう」。アブー・ターリブは他のメンバーに弁解して、甥と共にマッカに帰った。[1]


バヒラは正しかった。ただ知らないことがあった。ムハンマドは「アッラーは(危険をなす)人々からあなたを守護なされる」(食卓章5/67)に言われるようにアッラーによって守護されていた。

預言者の二度めの旅行は、25歳の時だった。この時は奥様ハディージャが派遣したキャラバンについての旅だった。当時、彼女とは共同に仕事をされていたのである。この旅行でも、バヒラと出あった。彼はかなり歳をとっていた。預言者を見て大変驚いた。なぜなら彼はこのような日が来ることをずっと待っていたのである。預言者に「あなたは預言者となるであろう。ああ、私もその時まで生きられればいいのだが。そしてあなたにつかえることができればいいのだが」と言った。彼はその日を見ることはなかった。だがこの行為が、天国における彼の地位をよいものにすることは間違いないことであろう。

皆そのお方を待っていた

ザイド・ビン・アムル

預言者ムハンマドを待っていたのは、一人や二人ではなかった。ザイド・ビン・アムルもその一人だった。彼は教友(サハーバ)の一人、サイド・ビン・ザイドの父であり、ウマルのおじでもあった。この人は、偶像から顔をそむけ、何の効果も害もないことを主張し、預言者の登場にわずかに間に合わず世を去った。彼は「私は知っている、その人の登場は近い。その影はもう我々に届こうとしている。ただし、私がその日まで生きていられるかどうかはわからない」と言っていた。彼は唯一のアッラーの存在を信じていたが、どのように礼拝行為をすればいいのか知ることはできなかった。アミル・ビン・レビアは、このように伝えている。

「ザイド・ビン・アムルから聞いたことである。ある日、こんなことを言っていた。

『私はイスマーイールの、そしてアブドゥルムッタリブの血統から現れるであろう預言者を待っている。その日まで生きることができるとは思わないが、信仰し、確かに認めている。彼は真の預言者である。もしあなたの寿命が彼に間に合えば、私からよろしく伝えてほしい。それから、君に伝えておこう。驚いてはいけない』と言った。私が

『どうぞ、説明を』と言うと、彼は続けた。

『背は中くらいである。高くもないし低くもない。髪は、完全にまっすぐではないし、縮れてもいない。アハマドという名であろう。生まれるのはマッカである。預言者となるのもここである。ただしその後、彼のもたらされるものを気に入らない者たちが、彼をマッカから追い出すだろう。彼はマディーナに移る。そしてその教えをそこで広めるだろう。私はあちらこちらを訪ね歩き研究し、イブラーヒームの教えを探した。私が話をしたキリスト教徒もユダヤ教徒も皆、あなたが探している人は後ほど現れるだろうと言っていた。皆最後にこういって締めくくった。彼は最後の預言者であり、彼の後には預言者は現れないだろう』」

アミル・ビン・レビアは続ける。

「それから月日は経って私はムスリムになった。アッラーの預言者に、ザイドが言っていたことを伝えた。彼からの挨拶を伝えると預言者は姿勢を正してそれを受けられた。そして言われた。『私はザイドが天国で歩いているのを見た』」[2]

ワラカ・ヌーファル

ワラカ・ビン・ネブフェルはキリスト教徒の学者だった。預言者の妻ハディージャの親戚でもあった。預言者に最初の啓示が下り始めた頃、ハディージャは何が起こっているのか知るために彼の元にきたことがあった。そしてワラカからこの返事を得た。

「ハディージャよ。彼はいつも正しいことを言う人だ。彼が見たものは、預言者がその初めに経験しなければならないことなのだ。聖ムーサーや聖イーサーにも同じものが訪れた。近いうちに、彼は預言者となるであろう。私もその日まで生きられれば、必ず彼を信じて、その教えの信者になろう」[3]

アブドッラー・ビン・サラーム

アブドッラー・ビン・サラームはユダヤの学者だった。イスラームの入信について、彼自身の言葉から引用したい。「預言者がマディーナに移住した時、皆と同じように私も見に行った。その周囲にたくさんの人がいた。その中に入り込んだ時、彼の言葉が聞こえた。「あなた方にところにやって来た人たちに、あいさつをし、食事を与えなさい」。その言葉の不思議な力と深い意味に私は衝撃を受けた。その場で入信しムスリムになった。なぜなら、彼に預言者にしか見られない顔を見たからである。[4]」アブドッラー・ビン・サラームは重要な人であった。彼が聖ユースフの子孫だった[5]。彼については、聖クルアーンでも触れられている。

「言ってやるがいい「あなた方は考えてみたのか。もし、(聖クルアーンが)アッラーの御許からであり、それをあなた方は拒否し、しかも、イスラエルの子孫の一人がそれ(ムーサーの律法)と同じ者であると立証し、それで彼自身聖クルアーンを信じたのに、あなた方は(なお)信じなかったとすれば。(あなた方は不義の徒になるのではないのか)」(砂丘章46/10)

この章で触れられているイスラエルの子孫の一人というのが(一部の学者が聖ムーサーだと言うが)アブドッラー・ビン・サラームであると大部分の学者が言う。

サルマーン・ファーリシィ

サルマーン・ファーリシィも、証人の一人である。彼は以前拝火教徒であった。しかし、真実の教えを求めていた。その後キリスト教に出合った。教会に通いだした。慕っていた司祭の死に際には、彼に今後どの誰に従えばいいのかを尋ね、その勧めに従って、勧められた人に従った。このようにして、多くの人のそばで学んだ。ある時、最期のときを迎えた一人の司祭に同じことを尋ね、彼からこのような答えを得た。

「わが子よ、もはや君に推薦できるものは誰も残っていない。ただ、最後の預言者の到来の時が近づいている。彼はイブラーヒームの教えにあるとおりに現れるだろう。彼が移住した、マッカから現れるだろう。その後、他の地に一度移り、そこに住むだろう。これは確かなことだ。行くことができるなら、そこへ行くといい。彼はサダカを受け取らない。贈り物は認める。二つの肩の間に、預言者であることの印がある」

これ以降は彼自身の言葉から引用しよう。

「私の司祭が教えた地へ行くために、私はキャラバンを探した。キャラバンと交渉し、お金を払ってそこへ連れて行ってもらうことになった。しかし、アル・クラーの谷で、彼らは私に暴行を加えた上、奴隷としてユダヤ人に売り渡した。その後、他のユダヤ人が来て,私を買った。そしてマディーナへ連れて行った。私はそこでナツメヤシの農場で働き始めた。預言者について何の情報も得られなかった。そんなある日、私は木に登ってナツメヤシを採っていた。私の持ち主であるユダヤ人も木の下で座っていた。そこへ、彼の従兄弟であるユダヤ人がやって来た。いまいましい様子で、

『なんてことだ。みなキュバへ向かっている。マッカからきた男が、自分を預言者だと宣言したらしい。皆、真に受けているらしい!』と言った。私は緊張の余り震え出した。もう少しで、木の上から持ち主の上に落ちるところだった。急いで木から降りて、

『何と言いましたか? どういうことですか? 』と尋ねた。持ち主は私が取り乱しているのに怒り、私を強く殴り、

『お前に何の関係がある。自分の仕事をしていろ』と言った。

『興味があっただけです』と私は言って、再び木に登った。

その夜、私は全ての荷物をまとめてキュバへ発った。預言者は、教友たちと共に座っておられた。

『あなた方は貧しい方のようにお見受けします。私はちょうどサダカをする相手を探していたのです。これをあなた方に差し上げます。どうぞ食べてください』と私は言った。預言者は、そばにいる者たちに、

『あなた方がお食べなさい』と言われ、決してそれに手を触れようともされなかった。心の中で、私は『司祭が言っておられた、一つめの印だ』と考えていた。翌日またそこに行って、

『これはサダカではなく、贈り物です。どうぞ召し上がってください』と言った。預言者は、友人たちに勧めた上でご自分も召し上がった。『二つめの印もあっていた』と思った。

友人の一人が亡くなり、その葬儀に預言者が来られ、私は挨拶をした後その背後を通り、肩の間にあるはずの印を見ようとした。そしてついにはそれを見ることができた。三つめの印も、何年も前に司祭が述べていたとおりであった。私は自分を抑えられず、預言者ムハンマドに抱きつき、その印にキスをした。預言者は『どうしましたか? 』と言われた。その前に座って、それまでに起こったことを説明した。預言者は大変喜ばれ、他の友人たちにも、その話をするように言われた」[6]

そう、意地や悪意から逃れて、そのお方を見る者は、このお方を見つけ、その姿に打たれる。過去においても、現在においてもそのことには変わりはない。意地やこだわりを捨てられない者たちが、彼が預言者だと知っていながらそれを認められずにいるという点においても、過去と現在の間に変化はないのである。

なぜ彼らは信じなかったのか

そもそもユダヤ教徒もキリスト教徒も預言者のことを知っていた。しかし悪意と嫉妬が、信仰の妨げとなった。知っていたという面においては、彼らは実にはっきりと絶対的な形で知っていた。信仰するようになるためには、預言者を一度でも見ればそれで十分という状態だった。聖クルアーンでは、このことは次のように述べられている。

「われが経典を授けた者たちは、自分の子を認めるようにそれを認める。だが彼らの一部の者は、承知の上で真理を隠す」(雌牛章2/146)

この章で、預言者の名が明記されず、彼、となっているが、それは経典の民全てが、最後の預言者として、彼、と言われた時点で、それぞれの聖書で名前が出てくるその人を理解するという印である。彼というのは、もちろん何の疑いもなく、預言者ムハンマドのことである。そして彼らは、彼を自分の子供以上によく知っていた。ウマルはアブドッラー・ビン・サラームに尋ねる。

「預言者を、自分の子供のように知っていましたか」返事はこうだった。

「自分の子よりもよく知っていました」ウマルが、

「どういうことですか」と聞くと、

「自分の子については疑いを持つこともあり得ます。もしかしたら妻が嘘を言っているのかもしれないから。でも、彼が最後の預言者であるということについては、全く疑いを持ちません」と答えたという。[7]


嫉妬と悪意

そう、彼らは預言者のことをよく知っていた。しかし、信じることと知っていることは別であった。知っているが、信じてはいなかった。嫉妬と悪意が信仰への妨げになっていた。

「(今)アッラーの御許から経典(クルアーン)がくだされて、彼らが所持していたものをさらに確認できるようになったが、(以前から不信心の者に対し勝利をお授けくださいと願っていたにも関らず」心に思っていたものが実際に下ると、彼らはその信仰を拒否する」(雌牛章2/89)

この章で、アッラーは、彼らが預言者を認めなかった本当の理由について述べておられる。全ての問題は、最後の預言者がユダヤ人ではなかったというところにある。もし預言者がユダヤの血筋からなるものであれば、彼らの行いは全く異なっていただろうというのは、全く疑いのないことである。アブドッラー・ビン・サラームは、預言者の元に来て、言った。

「預言者よ。一時的に私を隠してください。それから、マディーナのユダヤ学者を全て呼び集めてください。その席で、私や私の父についてどのように知っているか、聞いてみてください。皆が好意的なことを答えるはずです。その後で、私は現れて、ムスリムになったことを公表しましょう」

預言者もこれを認められた。アブドッラー・ビン・サラームは家の中で身を隠し、ユダヤ学者たちが呼ばれた。預言者が彼や彼の父についてどう思うかと尋ねると、

「彼と、その父は最も名誉ある学者たちだ」と答えた。再び預言者が尋ねられた。

「彼がもし私を認めたら、それに対して何と言われますか」彼らは

「あり得ない。決してそんなことはあり得ない」と答えた。その時、アブドッラー・ビン・サラームが姿を現し、ムスリムであることを宣言した。皆驚き、そのうち、

「彼らは最悪の学者たちだ」と、前の言葉を覆した。[8]

競争心

ムギーレ・ビン・シューベは語っている。

「私はアブー・ジャハルと共に座っていた。そこに預言者が来られた。いくつかのことについて説明をし教えを説き始められた。アブー・ジャハルは、馬鹿にした調子で、

『ムハンマドよ。もし、この説明とやらを、あの世に行った時のために、教えを説いたということの証人を求めてやっているのなら、ほどほどにしてくれ。私が証人になってやるから、これ以上私のじゃまをしないでくれ』と言った。預言者はその場を立ち去られた。私はアブー・ジャハルに尋ねた。

『本当に、彼を信じないのですか』

彼は答えた。『本当は、彼が預言者だということは知っています。ただ、ハーシムの一族とは、昔から競い合いがあるのです。彼らは、我々のほうが優れていると言ってはばからない。その上、預言者も我々の中からだ、と言うのならば我慢できません』」[9]

クライシュ族の者たちが集まって相談し、ウズベ・ビン・レビを預言者の元に派遣することにした。ウズベは行って、説得し、預言者の布教活動を辞めさせることになっていた。この人物は、アラビア文学をよく知り、裕福であった。預言者の元に行き、彼なりに論理的な攻めをすべく、質問を始めた。

「ムハンマドよ。あなたと、あなたのお父さんとでは、どちらがより価値がありますか」

預言者はこの問いに答えなかった。というより、このような問いには最もふさわしい、沈黙という形で返事を返したと言えよう。ウズベは続けた。

「もし、あなたよりお父さんのほうが優れていると言うのなら、あなたのお父さんは、あなたが今価値を認めていない神たちを崇拝していたのですよ。もし、あなたのほうが優れていると言うのなら、ぜひお話しなさい。私も伺いましょう」

預言者は「言いたいことは全部すみましたか」と言われた。ウズベは『はい』と言い、黙ってしまった。預言者は、フッスィラ章を唱え始められた。

「それでも彼らが、背き去るならばいってやるがいい。『あなた方に、アードとサムードの(被った)落雷のような災害を警告する』」(フッスィラ章41/13)

に及んで、ウズベは耐えられなくなって、マラリア患者のように震え始めた。その手を預言者の口元に伸ばし、

「黙ってくれ、ムハンマドあなたが信じている神への愛にかけて、黙ってくれ」

と言った。そして去って行った。マッカの者たちは、結果を待ちわびていた。アブー・ジャハルは、ウズベの帰り方が気に入らなかった。「行った時と様子が違う」と周りの者と言い合っていた。ウズベはまっすぐに家に戻った。彼が聞いた章は、彼に隕石が衝突したかのような衝撃を与えていた。そのうち、アブー・ジャハルがやって来た。ウズベが信仰を選ぶことを恐れたのだった。彼はウズベの弱点を知っていた。自尊心を傷つけられることであった。アブー・ジャハルは行動に移った。

「ウズベよ。聞くところによるとムハンマドはあなたを褒め称え、食事を出し、もてなしたそうではないか。それであなたもいい気になって彼を信じるようになったんだと皆言っている」ウズベは腹を立てて言った。

「私が、彼に食べ物を恵んでもらわなければならないような人間ではないことは皆知っているはずだ。このあたりで一番裕福なのは私だ。ただ、ムハンマドの言ったことは私を驚かせた。詩でもないし、予言をする者の言葉のようでもない。何と言ったらいいのかわからないが、彼は正しいことを言う人だ。彼の言葉を聞いて、我々にも災害が起こるのではと怖くなったのだ」[10]

___
[1] Ibn Hisham, Sirah 1/191
[2] Ibn Kathir, al-Bidayah 2/298
[3] Bukhari, Bad'u l-Wahy 3
[4] Ibn Hanbal, Musnad 5/451
[5] Ibn Hajar, Isabah 2/320
[6] Ibn Hisham, Sirah 1/228-34
[7] Mukhtasar Tafsir Ibn al-Kathir, 1/140
[8] Bukhari, al-Anbiya', Bab Khalq A'dam, 2
[9] Hindi, Kanz al-'Ummal, 14/39-40; Ibn Kathir 3/83
[10] Ibn Kathir, al-Bidayah, 3/80-81; Ibn Hisham, Sirah, 1/313

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